あいつと出会ってから、気がつけば三十年以上が経っていた。
だけど、ずっと好きじゃなかった。むしろ、イライラする存在だった。
感情の引き出しの奥にずっとしまってある、小石みたいなやつ。
歩くたびにちょっと痛い、でも捨てるタイミングもない、そんな関係。
ボクがメンタルを病んで、統合失調症を発症してからというもの、
それまで近くにいた友達たちは、さーっと潮が引くようにいなくなった。
まるでボクの存在が厄介な地雷になったかのように。
けど、あいつだけは違った。
まるでなにも変わっていないみたいに、「遊びに行こうぜ」って誘ってきた。
正直、しんどかった。病気の最中に遊びに行く元気なんてなかった。
でも、あの変わらない誘い方は、不思議と救いでもあった。
“病気の自分”に触れられないまま、ただ“いつもの感じ”を続けてくれた。
それが一番のやさしさだったのかもしれない。
他のやつらの中では、「アイツ、シャブに手出したらしい」なんて噂も流れてた。
でも、あいつはなにも言わなかった。問いただすことも、離れることもなかった。
そっと黙って、釣りに行こうぜ、とだけ言った。
言葉が優しさを裏切ることもあるけど、沈黙がやさしさになることもある。
でもボクは、そんなあいつのことが、やっぱり好きになれなかった。
ウソが多いし、約束は守らないし、なによりボクのことをちゃんと信じてない。
信頼の種を植えても、毎回なにかに踏まれて芽が出ない感じだった。
それでも縁が切れなかったのは、ボクが「来るもの拒まず、去るもの追わず」な性格だから。
喧嘩も何度もした。ぶつかったこともたくさんある。
でも、あいつはそれでも去らなかった。そういうやつだった。
最近になって、ふと評価が変わった。
特別なきっかけがあったわけじゃない。ただ、ある日ふと思った。
“あいつ、意外といいやつなのかもしれない”と。
そう思えたのは、たぶんこの言葉のせい。
「人のこと悪いとこだけ見て評価してたらあかんねん。
いいところも含めて全体を見て、それで悪いところが50%超えたら文句を言え」
島田紳助の言葉だった。
今までボクは、あいつの悪いところばっかり数えてたなあって思った。
いいところを探してみたら、意外とあった。
・いつも「遊びに行こうぜ」って誘ってくれるところ。
・釣りに行くと、コンビニの缶コーヒーを黙って奢ってくれるところ。
・車の運転を、文句ひとつ言わずに引き受けてくれるところ。
そりゃあ完璧な人間なんていない。
でも、“悪いとこだけ見てる目”って、ほんと曇ってたんだなあって思う。
最近は、あいつのことをちょっとだけ見直してる。
夜釣りにもよく行った。
深夜の真っ暗な海辺で、ふたり無言で竿を垂らす。
あの時間、言葉は必要なかった。
言葉がないことを気まずく感じない関係って、たぶん宝物だと思う。
海外にも行った。
そのときの写真はどこかに埋もれてるけど、
記憶のほうは意外とくっきり残ってる。
ホテルの匂いとか、空港のざわめきとか、
あいつのいびきのうるささとか、全部。
最近、インスタでこんな投稿が流れてきた。
「カラオケフリータイムに2000円使うくらいなら、
その金で手土産持って友達に会いに行け。
そういうことやで、人生変えるっていうのは」
その言葉が胸に刺さって、カレー食いに行こうぜって、
ボクの方から誘った。
そういえば、最近はボクから誘うことが増えたかもしれない。
好きじゃなかった。でも切れなかった。
イラついてた。でも残ってた。
言葉は少ないけど、今も変わらずそばにいる。
そういう関係が、人生にはひとつぐらいあってもいい。