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慌てなくても大丈夫、道草の魅力と人生の進み方について

2024/12/11

今日も穏やかな一日だった。やったことと言えば、朝活くらい。これだけは不思議と休めない。いや、むしろ休みたくないんだ。朝活の中身は、情報発信アカウントのためのリサーチや投稿準備、FXの環境認識、そしてせどりのリサーチ。地味だけど、自分にとっては大事なルーティンだ。

朝活が終わった後は、ほんの少し作業しておしまい。もちろん、作業量が少ない分、成功への歩みは遅くなる。でも、それもまた自分らしさかなと思う。なんでも詰め込みすぎると息切れしちゃうし、ちょっとした「緩さ」って必要だよね。

だってさ、僕らって完全無欠のスーパーヒーローじゃないし。大谷翔平でもないし、イーロン・マスクでもない。そんな自分が無理して突っ走ったって仕方ないやん。適当に、ゆっくり、道草を食いながら進むくらいでちょうどいい。

そういえば「道草を食う」って言葉、そもそもどんな由来なんだろう。気になったので調べてみたら、「馬が道端の草を食べることで進むのが遅くなる様子」を表しているらしい。なんだかその光景、想像するとちょっと可愛くない?のんびり草をはむ馬。その一方で、人間は慌ただしく目的地を目指して走り続ける。なんだかなぁ。

道草には不思議な魅力がある。寄り道した先で、意外な発見があるからだ。例えば、道端に咲く名もない花。誰にも気づかれず、けれど堂々と咲いているその姿を見ると、「こんな場所にも美しさはあるんだな」とほっこりする。あるいは、行き先を急がないときだけ聞こえてくる風の音。普通なら通り過ぎてしまうようなものに目を留めると、いつもの風景が少し違って見えてくる。

それに、道草は自分をリセットしてくれる。立ち止まることで、ずっと考え続けていた悩みがふっと軽くなることもある。進むばかりじゃ見えないものが、そこにはあるんだと思う。急いでいては気づけない景色や、心の余白を取り戻す時間。そういうものが道草の中には詰まっている。

自然って、全部知ってるんだと思う。急いだところで結局、全体の進む速さが変わるわけでもないこと。道草を食べながらでも、地道に一歩ずつ進めばいい。それが僕たちにできる最高の生き方なんじゃないかと思う。

そういうことだよね。

2024/12/06