編集

愚痴を磨くより泥団子を磨く努力の美学

最近ね、ふと思うことがあるんだよ。

世の中の人って、大体がしょうもない人なんじゃないかな、って。

いや、これ某SNSに書いたらね、もう蜂の巣つついたみたいに反発が飛んできて、「おまえが一番しょうもないわ!」みたいに言われたんだけどさ。でもね、やっぱり思いは変わらないんだよ。

だってみんな、不満はあるくせに、それを変える努力をしない。愚痴を並べて、翌日にはまた同じ愚痴を繰り返してる。
まるで、壊れた目覚まし時計が「ジリリリ!」って同じ音を延々鳴らしてるみたい。耳ふさぎたくなる。

「いやいや待てボク、じゃあ変える努力くらいしろよ」とツッコミたくなるんだ。

たとえば「働きたくない!」って言う人もいるけど、じゃあ働かなくても生きられる仕組みを作ろうと努力すればいいじゃん。
結果が出なくても、その努力してる姿にこそボクは惹かれるし、「こいつ、すげえな」って思うんだよね。

愚痴ばっか言ってるアホより、1000000000倍かっこいい。てか夢に向かって歩くってそういうことだろ?

そういう人は、言うなれば「公園の砂場で泥団子を真剣に磨いてる子ども」みたいな存在。大人から見たらくだらなくても、その必死さがもう尊いのよ。

もし本当に無理なら、生活保護だって選択肢でいいじゃん。その方が潔い。中途半端に泣き言を言いながら働くより、よっぽどスッキリしてる。

あとね、知ったかぶりする人も多いよね。
記事で読んだとか、YouTubeで見たとか、それで「知ってる知ってる!」って言ってくるやつ。

この前なんて、ネパールの話になったときに、ボクが実際に行って体験した話をしたら、「そんなん知ってるわ。YouTubeで見たからな」って返されたの。

……いやいや待てボク。
YouTubeで見たって、ネパールの空気の匂いとか、牛が道路をふにゃりと占拠してるあのカオスとか、あの生温かい夜風までは映像に入ってないだろ。
本当に知ってるの?って聞きたくなっちゃうよね。

でもね、ここで読んでる人の中にも「わかる…自分もそう思ってた」って人、いると思うんだよ。
飲み会の席で同じ愚痴を3回目に聞かされたときの、あの「デジャブ?」って感覚。
まるでレンジの中で回ってるカレーを、じーっと見せられてるような退屈さ。
共感してくれる人、絶対いるはず。

もちろんボクだって完璧じゃないし、愚痴を言う日もある。
そのたびに、不満という黒猫が足元にすり寄ってきて「にゃあ」と鳴くんだよね。
あれ、あんたまた来たの?って感じ。
で、つい頭をなでちゃう。これが人間の弱さ。

そんなとき、心の中では小さな葛藤が始まるんだ。
「いやいや待てボク、愚痴を言うくらいなら行動したほうがマシだろ?」って。
でも別の声が「まあまあ今日は疲れてるし、ちょっとくらい愚痴ってもいいじゃん」ってささやく。
ふわっと心が揺れて、じんわり迷子になる。

心理学でいう「認知的不協和」ってやつだよね。頭と心が別々の方向を向いて、勝手に綱引きしてる。
まるで、ソファの上で昼寝したいやる気が「あと5分〜」ってゴネてるのに、机の上の目覚まし時計が「ジリリリ!」って怒鳴ってるみたい。

結局ね、世の中にはしょうもない人が多い。
でも、その「しょうもなさ」を観察するのも、意外と面白い。
だって、しょうもない人の数だけ、ネタの妖精がポケットにガサガサ溜まっていくんだから。