人がボクのことを攻撃しようとしている――そう思うことがある。いや、正確には「いつも」だ。目が合うと「ああ、あの人もきっと」と感じるし、何気ない会話の一言が鋭い矢のようにボクを貫く。でも最近ふと思った。これって病気のせいなんだな、と。
ボクは統合失調症を患っている。病名なんて重たい荷物みたいで、なるべく触れないようにしてきたけど、ふと冷静になったとき、こういう考えが浮かぶ。ああ、これは病気のせいなんだ、と。そこに気づくと、少しだけ自分を俯瞰して見られるようになった。怯えているのはボクの心。そして他人の視線が怖いのは、ボク自身が勝手に「攻撃だ」と思い込んでいるからだ。
けれど、人間というのは周りの反応を敏感に察知する生き物だ。きっと、ボクのそんな「怯え」が顔や声ににじみ出ているのだろう。そうすると、周りの人も自然体でいられなくなる。まるで静かな池に小石を投げたときの水面みたいに、さざ波がじわじわと広がっていく。
ボクが怯えるから、周りもぎこちなくなる。そして、ぎこちなさを感じるボクがまた怯える。まるで鏡合わせの迷宮だ。出口なんて見当たらないし、どの自分が本当の自分なのかもわからなくなる。
でも、思うのだ。ボクが見ている世界、感じる世界っていうのは、結局ボクの心が作っているものなんだ、と。心が黒い雲をかければ、目の前に広がる景色も灰色になるし、心が荒れれば、風景は嵐に見えてくる。反対に心が穏やかなときは、きっと世界も少しだけ優しく映るはずだ。
それに気づいたところで、目の前の景色が急に変わるわけじゃない。でも、ボクは知ったんだ。怖いと感じるのも、他人が攻撃してくるように見えるのも、全部ボクの心が作り出しているってことを。
そう考えたら少し面白くなってきた。だって、ボクが見ているこの世界は、ボク自身の心が生み出しているものなんだ。なら――もっといい世界に変えることだってできるんじゃないか?
「怖い」と感じる心の代わりに、「大丈夫」と言ってみる。「攻撃されてる」と思ったときこそ、少し深呼吸してみる。そんなふうに少しずつ、心を穏やかにしていけば、世界も優しく映り変わるかもしれない。
まだまだ道のりは長い。でも、ボクの心が作る世界なら、ボクにだってコントロールする余地はあるはずだ。だから少しずつ、ボクはボクなりに、この世界をもっと生きやすくしていこうと思う。
2024/12/17