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“考える力”が欲しいだけだった。木曜日のメンタル空回り記

昨日はまるで、靴下を裏返しに履いたまま一日を過ごしたような気分だった。暑くも寒くもないのに、なんだか体が重たい。体調が悪いわけじゃない。メンタルも、まあまあ平常運転。でも、どうにも「ノッて」こなかった。だから、普段なら淡々と片付けられる作業が、まるで湿った雑巾を一枚ずつたたむような、地味な辛さだった。

ラッキーだったのは、昨日がやさしい日だったこと。作業量がちょっぴりだったので、気力ゲージがすっからかんのままでもなんとかなった。ありがとう、木曜日。

そんな木曜日の午後。某さんの長文ポストを読んでしまったのだ。こういうときに限って、ものすごく頭のいい人のポストが刺さる。せどりじゃスケールしないよ、ずっと労働者のままだよ、っていう話だった。ああ、耳が痛い。いや、目が痛い。目から脳までじんじんする内容。

思えばボクは、せどりを野良猫みたいに拾ってきた。でも、野良猫は育てても虎にはならない。そりゃその先にはOEMとか卸しとか、もう少し立派な看板ってのも確かにある。でも今のボクはまだ段ボールに丸まってる猫のまま。せどりがボクのすべて、ってわけじゃないけど。

それにしても、頭のいい人ってずるいなって思った。差が絶対的に見えてしまうと、こっちは洗濯機に吸い込まれた靴下みたいな気分になる。ボクもああなれるのかな。ならなきゃいけないのかな。いや、でも今はそれより、今日の作業を終えることが先。

そう、今のボクに必要なのは未来を描くことじゃない。今ここにあるモノを、ぐちゃぐちゃのままでも抱えて歩くこと。それだけだな、うん。