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100回のお願いと、1つの気づき

 昨日は元嫁ちゃんと石切さんへお百度参りへ行ってきた。元嫁ちゃんが何をお祈りしたかは分かんないけど、おれは「肺気腫が治りますように」と「FXで成功しますように」をメインに100回お祈りした。お祈りっていうかお願いだけど。

で、石切さんは病気とかの神様らしいんだけどね。まついでにFXもって。で、お百度参りって100回お願いするのかどうかはしらないけど、ぼくは100回お願いしようって思って。

で、神社の本堂?の前と、神社の鳥居の前にお百度石ってのが置いてあって、その周りを100回周るのね。で、本堂の前に来たら手を合わせる。そのときにお願いしてたんだけど、最初の10周くらいは「肺気腫が治りますように」「シンギュラリティの到達でAIが爆発的に進化して医学も爆発的に進歩して肺気腫が治りますように」ってお願いしてたんだけど、周回を重ねると神様に「今日の晩ごはん何がいいか思いつきますように」とかってなっちゃうんだよね。100回あるからめっちゃ無駄使いしちゃう。

ま、いちおう、自分以外のこと「元嫁ちゃんが禁煙できますように」とか「お母ちゃんが長生きできますように」とか「世の中の人が健康で長生きできますように」とかもお願いしたよ。いちおう自分だけじゃない。

でさ、60周くらい超えたところからさ、なんだか神様を感じるようになってきたんだよね。風とか木々の揺らぎとかさ。人知を超えた存在を神と呼ぶんだと思ってるボク的にはそういうのが神だと感じるし「ああ、神様っていつもそばにいたんだな」とか思えちゃうわけで。

そしたら、なんだかお願いも変化して、本堂の前についたら手を合わせて「いつもありがとうございます」「これまでありがとうございました」「いつも健康で元気です、ありがとうございます」「FXのスキルどんどん上がってます、ありがとうございます」って祈りが変化してさ。

そしたら、なんか心が楽になったんだよね。やっぱ執着ってダメなんだろうな。すべてありのまま受け入れるだけなんやで。

治してください、成功させてくださいってのは未来への執着。
ありがとうございますってのは、今の肯定なんだな。
足りない、もっと欲しいじゃなくて、もうある、感謝なんだな。

で、元嫁ちゃんにさ、「お百度参りって100回お願いできるからお得やな」って言ったら、「いや、そのへんの神社でも100回お願いしていいんやで」って言われた。それもそうやな。一回なんて決まりあらへん笑

てな感じの昨日でした。