編集

自由に書けと言われても、それが一番難しい。

 布団の上でゴロゴロしながら、古本で買った『エッセイの書き方』を読んでた。

昭和の本やから、ページは茶色く変色してるし、最初は正直読みにくかった。

なんやろ。
文体なんか、本がまとってる空気なんかわからんけど、「うーん、読みにくいなあ」と思いながらページをめくってた。

でも、ある一文で手が止まった。

「エッセイとは、文章をうまく書くことではない。心を自由にして書くことである。」

その瞬間、思わず心の中でつぶやいた。

「お、ロックと一緒やん。」

音楽でも、ロックって上手に演奏することより、「叫びたいことを叫ぶ」みたいなところがあるやん。

エッセイも一緒なんや。

そこからはページをめくるスピードが変わった。

線を引いたわけでも、付箋を貼ったわけでもない。

ただ、一文一文をゆっくり読んだ。

実は「自由に書く」って言葉は、前にも聞いたことがある。

いしかわゆきさんの『書く習慣』にも、「感じたことを感じたまま書けばいい」と書いてあった。

そのときは、「なるほど、そういう書き方なんやな」くらいに思ってた。

でも今回の本は違った。

「心を自由にして書く。」

書き方やなくて、心の話やった。

その一文でようやく腑に落ちた気がした。

そうか。

俺は文章を書こうとしてたんじゃなくて、自分で自分の心を縛ってたんや。

SNSに何か書こうとすると、

「これ書いたら変に思われへんかな。」

「炎上したらどうしよう。」

そんなことばっかり考えてしまう。

もちろん、他の人が炎上してるのを見たら怖い。

せやけど、冷静に考えたら、今の俺の投稿なんか、ほとんど誰にも見られてへん。

「こんなん書いて大丈夫かな」と思いながら投稿しても、インプレッションなんかたいしたことない。

それでもブレーキを踏んでしまう。

ほんま、不思議や。

むしろ炎上するくらい読まれたら、「大したもんやな」とさえ思うのに。

だから今日からは、日記くらいは自由に書いてみようと思う。

どうせ最初から、うまい文章なんか書かれへん。

それやったら、うまく書こうとするより、心を自由にするほうが先なんかもしれん。

……とは思うねんけど。

自由に書くって、どうしたらええんやろな。