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「何もない日」の中でこっそり芽を出す、なりたい自分と笑いの種

火曜日って、なんだか「間」みたいな存在だ。週のはじまりでも終わりでもない。気づくと、ただそこにある。

そんな火曜日。今日もできるだけ手を使わないようにしてた。PCはお休み。指に仕事をさせない代わりに、頭のなかが妙にせわしない。

「手を休める=自由時間」と思ってたけど、実際は思ったより暇だった。何かすれば?と心が囁くけど、外に出たいわけでもないし、ましてや行きたい場所もない。出かけたいという気持ちすら、引き出しの奥で埃をかぶってる。

結局昨日も、タブレットでFXの動画をぼんやり流して、チャートをじっと見るだけの時間が流れた。グラフの線が上下するたびに、感情のメーターも微妙に動く。が、それもエンタメってほどじゃない。

そうなると、日記にも書くことがない。「何もない日」はつまらない。でも、本当にそうかな?
日々はまるで透明なスープみたいなもので、よく見ればちゃんと具が入ってるのかもしれない。ボクは、目を凝らしてなかっただけ。

そういえば昨日、かれこれ4年くらい付き合いのあるネッ友と通話した。特にテーマはない。ゆるく話して笑って、笑われて。
この子、いつも楽しそうに話すんだよね。声がシュワッとしてて、まるで炭酸みたい。聞いてるこっちまで口角がふわっと上がる。

話しながらふと思った。「こういう人になりたかった」って。楽しそうな人。笑いの絶えない人。
でもボク、たぶん、ちょっと真面目すぎるんだ。固い豆腐みたいに、崩れないかわりに、味も染みてこない。

だけど、楽しくなりたい。そう思った。思ったときが始まりだな。たぶん。

それでってわけじゃないけど昨日、ビジョンボードも作ろうとしていた。いや、正確には「作ろうとしてた段階」で止まってる。
まずはアファメーションの言葉を画像に落とす作業。ChatGPTの画像生成が進化してて、びっくりした。日本語の文章が画像に自然に入れることができる。これが便利で、やる気スイッチにもなる。ポチッと。

この作業、実は地味だけど楽しい。理想の自分をひとつずつ可視化していくのは、未来の地図を手描きで作ってるみたいな気分になる。
今日も少しずつ、ちょっとずつ、進めていこう。炊飯器の保温みたいに、あたためながら。

たとえ特別なことがなかったとしても、こうやって少しずつ、自分を「なりたい姿」に近づけるのは悪くない。
火曜日はやっぱり「間」だけど、間には間なりの役割がある。そう思えると、少しだけ今日が好きになれる。