寝れずに夜中起きてたら死にたくなってきたので、書きながら考えながら書いてます。
死ねない理由を。
死ぬことで楽になれるのか?
夜中起きててバッド入ってる時とか、何か上手く行かなくて強めのストレスかかった時とかって死にたくなる。
死ぬこと自殺することを『逃げる』という人がいる。死は逃げだということは、それは今より楽な道を選ぶということを指す。
ただ一つ気になるのは、死ぬことで本当に楽になれるのかどうかってこと。
死んで今より楽になれないのなら死ぬ理由がない。これも自分が死ねない理由のひとつだ。
自殺する人は、そんなこと考えられる状態じゃないから自らの命を絶つんだと思う。「とにかくこの世に居たくない」って。
ただ僕の場合は、なんとかそこまでじゃない。過去を振り返ってみても。だから実際にやろうとしても一線を超えられずに生きてる。
死ぬことで楽になれるってのは正しそうだが
死ぬことによって楽になれる確証が無いのに「とにかくこの苦しみから逃れたい」と思って死ぬのなら、それは直感的・本能的な選択で、たぶんDNAにそう刻み込まれてるってことなんだろう。野生動物も自殺するっていうし。
だから死ぬことによって楽になれるのがこの世の仕組みで正しいのかもしれない。死=楽ということだ。辛さが募った時「死ねば楽になる」という考えに至り自殺するように人間がプログラミングされているのなら。
だけど人間には錯覚や誤謬がある。人間の考えは不合理で不条理だ。ここでは合理的という定義が正しいかどうかは置いておく。
生きるのを止めるという選択肢
自殺を選択するもう一つの理由は『生きることに疲れた』ということもある。孤独、対人関係、恋愛、金銭問題、仕事など、いろんな面で生きるのが嫌になる。生きるのを止めるとそれらからは解放される。
死ぬと無になれるのか?
でも、やっぱり死ぬことで楽になれるのかどうかは不明のまま。もし、死ぬことで楽になれるとしたら『死んだら無になる』『死ぬと天国に行ける』という考えだけど、僕には死ぬとどうなるかは分からない。
『無になる』と考えていた時期もあったけど、今の答えは『分からない』でしかない。ただ今を生きることだけは止められる。
だけど、いくら考えても『死ぬことによって楽になれるのか否か』は分からないから死ぬことができない。
余裕があるってこと
死にたいと思った事のない人もいる
子どもの頃に母親に尋ねたことがある。「死にたいと思ったことはある?」って。母親は「生きてるんだからもちろんある」って答えた。僕はそうなんだ、誰でも思う事なんだと思った。
とある時、ある友達に「死にたいって思った事ある?」って訊いたことがある、大人になってからだ。その友達は「今までに一度もない」って答えが返ってきたことが僕にはショックだった。死にたいと思う事が当たり前だと思っていたから。
その友達は今までにも何度かそういった事を口にしているので、たしかにそうなんだろう。
きっと人によって違うんだろう。環境や性格。僕も死にたいと思わないような人間として生まれたかった。
ネットの世界でくらい自由に呟かせてくれ
いのちの電話などはエゴ
こころの健康相談統一ダイヤル |
自殺に関してググると、上のようなのが真っ先に表示される。ここに電話して誰が僕の問題の何をどう解決してくれるっていうんだろう。
こういうのは無責任であり、ただのエゴだ。
だが、こういった機関のドキュメンタリーを見たことがあって、運営に携わる人達にはそれぞれの過去と思いがあるというのは知っている。それでも僕はエゴだと思う。
だから僕のように考える人は電話をかけなくていい。だから僕はかけない。
もちろん、こういった所に電話することによって助かる命もあるのだから全てを否定はしない。
僕としては
「どうして私がちはるさんや親が生きてて欲しいと願うからと気を遣って苦しい思いをしてまで生きなきゃならないのですか?」
という言葉に同意したい。
Bloggerの自殺対策
そしてBloggerに今回のこのような記事を投稿することはセーフなのかどうかが知りたくて、利用規約を確認していると、自殺をほのめかしている書き込みを見かけたら機関に通報してくださいとあった…。
正味そういうのが余計生きづらくしてるよなって思う。
この前も暇スレ内で数人で自殺の話をしていたら「通報!通報!」って連投してたヤツがいた。本当に頭が湧いてると思う。
きっとその人の中ではそれが正しいと思ってやってるんだろう。だけど、この人が通報したところで何も変わることはない。仮に僕が保護されたところで僕が抱える問題の一部でも解決することは決してない。
残るのは吐露する機会すら奪われ、胸の中で行き場を失った死にたいというどす黒い気持ちだけである。そしてその気持ちに心が徐々に染められていき自殺実行することになるんだと思う。
書くことで死にたい気持ちが紛れることもある
だから書く。
書くことによって紛れることもある。現に今がそう。いろいろ考え巡らせて、書くために色々読んで、疲れてきて意識が散漫になって。
死にたい人が書いた記事を読むことでも癒される
死にたい気持ちの人が書いた記事を見つけて読むことによって、自分だけじゃないんだっていう安心感は孤独を少し紛らわせてくれる。そう一つの癒しだ。
だから僕も書く。読まれるかどうかは知らないけれど。
Googleのアルゴリズムすげえ
ということで、『死ぬと楽になれるのか』『死にたい気持ち』『死にたい』などのキーワードでググってみた、他の人はどう考えているのか知りたくて。
でも、Googleでは死にたいと思っている本人が書いている記事を僕には見つけることができなかった。ググっても死にたい時はどうやってやり過ごせばいいかっていう記事ばかり出てくる。
ってGoogleすごない? アルゴリズムでハネてるんだよね? これ。死にたい者同士が繋がらないように、共鳴しないように。
これはGoogleが死にたいというキーワードをYMYL(Your Money Your Life)案件だと判断してのことだと推測できる。YMYLとは人生とお金に関わる記事については評価を厳しくし、信頼性の高いサイト(メディアや医療機関、政府系など)からの記事を優先的に検索結果に表示するというアルゴリズムのこと。
でもさ、これってやっぱりGoogleってゴミだなって。前から思ってることなんだけど、Googleってタウンページと同じくらい面白くない。
DuckDuckGoだと出てくるね
ただ、検索エンジンをDuckDuckGoに変えて検索すると出てくるね、死にたい人のブログ。
関連キーワードとかだいぶすごい。
DuckDuckGo『死にたい』の関連キーワード |
DuckDuckGo『死にたい ブログ』の関連キーワード |
今までDuckDuckGoいいよ、って話を聞いても「ふーん」だったけど、少し分かった気がする。
Ritlwebもいい感じ
『死にたい』でブログを一括検索中のRitlweb |
僕の死なない理由
あとはさっきも書いたけど注意力散漫なところ。なんやかんやしているうちに興味の対象が他に移ってしまうところ。他のことをしている時と同様に死にたい気持ちにも意識を集中し続けることができない。
それに寝るとけっこうリセットされるというボチボチ得な性格してるのも一つの要因。まあ、僕の死にたい気持ちがその程度でしかないってことでもあるんだけど。
そんなこんなで外がすっかり明るくなっている。