統失な僕の不安 自分が信じられない
僕が統失だから不安になるのかわかんないけど、例えば僕に見えてる物が他人にも同じように見えてるのかな?とか、僕が話したことは僕が認識している通りの字面で聞こえてるのかな?とか色々不安になることがあります。
幻覚・幻聴の不安なのかな?
ようは自分が信じられない。
僕と他人は同じ視覚を共有してるのかな?
別に解釈が違うとか見てる角度・切り口が違うとかの問題じゃなくて。例えば僕が3つの白い大福もちを見てるとすると、他の皆にもその3つの白い大福もちは見えてるのかな?って。時々不安になる。
僕にだけ見えてたらどうしようとか、色が実は赤色だったらどうしようとか、数が2つかもとか…。
ちょっと違うけど言葉の不安
特に言葉や態度が気になる。僕が「こんにちは、元気?」って言ったとすると、相手はちゃんと「こんにちは、元気?」って聞こえてるのかな?って。もしかして僕は「お前うざいから〇ね!」とか言ってないよねとか。
でも、心で思った事や脳に浮かんだ言葉をストレートに発していないと、そういうのって伝わるし「この人めんどいなあ」って感じるよね。でも、一応ここではそういうのは置いておいて、字面の話。
もちろん逆もある。相手が「その服いいね」って言ってきたように聞こえるけど、実は『お前臭いねん』って言ってるのかもって。
不安の原因
たぶん僕が統合失調症患者で、幻覚や幻聴の可能性があると自分で警戒してるからだと思う。僕個人的には幻覚や幻聴はそんなに経験したことはないんだけれど。
もう一つはねじ曲がった性格。これまでにストレートに自分の心を表現することはしてこなかったから。心と言葉は違うから、それが出てしまっていないかなってのも。
あとは薬で頭飛んじゃって、理性の無い行動をとったことがある過去とか。そういうのが重なって不安が起こってるんだろうなとは思うけど。
解決方法
たぶん信じることしかないんだと思う。自分を。他人を。
ま、親しい人が相手なら確認することができるけど、その言葉も本当に合ってるのかわからない。だから信じるだけなんだけど、僕は僕が信用できないし、誰かを本当に心から信用することができない。
自分を信じられないのはこれまでの生き方の結果
こういった事をしないで、押さえつけて生きてきた。心に正直に生きた場合の結果を知らない。だから心の経験値が少なくて、自分が何者か、どういう人なのかも分からない。
残ったのは妥協して行動した心に不誠実な行動への結果や、人を傷付けた経験や他の面白くない経験と結果だけ。だから自分が信用ができない。自分を正しく知らない。もちろん今の自分が自分であるっていうのも当然だけど。
なにも理性を捨てて生きるって言ってる訳じゃないです。ただ自分に誠実に生きるべきだったというだけで。
解決方法はこれからの積み重ね
つまり、過去は仕方がない。変えられない。じゃあこれからどうするか。積み重ねるしかないよね、自分を信じられるように、他人を信じられるように。